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第十四章 環境保護

公害は経済問題であり、政府だけが解決できる。公害防止コストは消費者が負担しなければならない。有害廃棄物は、できるだけ、禁止でなく課税で規制する。

公害防止コスト

公害のたれ流し、とか集中豪雨的輸出とか、常に企業が悪者にされる。ところが、実は悪いのは企業ではなく、政府であることを説明しよう。

公害防止が企業の良心に任されるとしたら、良心的な企業は、存続することが出来ない。企業は、厳しい競争下にあり、良心的企業は、非良心的企業とは勝負にならないからである。

公害防止を政府の規制によって行う場合は、企業間の競争条件に影響がない。 これで、はじめて、公害防止が出来る。だから、公害は政府の責任なのである。 どんなに良心的な人間が経営している企業でも、企業には心はない。

企業は、完全なエコノミック、アニマルである。 生き残りをかけて、利益という餌を奪い合っている獣である。 これを飼い慣らすことは、公的権力という鞭を持っている政府にしかできないのである。

政府が規制すれば、公害防止はできる。しかし、そのコストは、製品価格に転嫁される。これは止むを得ないものであり、我慢するほかはない。どの業界にも、限界企業、即ち、赤字すれすれで、これ以上経営が悪化すると、倒産に追い込まれる企業が存在する。この企業は、シェアを減らしながらも、コストアップの分を値上げせざるを得ない。この点は、付加価値税の場合と同じである。

公害は出すな、値上げはするな、という要求は、限界企業にとっては理不尽な要求である。このようにして、次々と、限界企業を潰して行くと、残るのは独占企業だけである。なるほど独占企業なら、公害防止もやり、値上げもしないことが可能だろう。しかし競争がなくなると、独占価格を許し、消費者はかえって高い、つけを支払わされることになる。

公害防止コストは、結局は、それ程大きなものにはならない。各企業が生き残りをかけて、必死のコストダウン競争をする結果、案外小さいものになって行く。製品価格の十パーセント分を公害防止に向ければ、殆どの場合充分であろう。普通は、もっと少なくてすむ。

だから、公害は、経済問題である。政府の規制がなければ、企業は、十パーセントどころか一パーセントのコストもかけようとしない。そこに公害が発生するのである。(これを強調するのは、化学工業が、いや、化学そのものが犯人呼ばわりされているからである。)

公害問題はまた心の問題でもある。消費者が、公害防止コストを負担しようという気になるかどうかの問題だからである。行楽地には、ゴミが散乱している。自分の出したゴミはきちんと始末する、即ち、お弁当を作り、電車に乗り、歩いていく、その労働を、一日の行楽を楽しむための労務費と考えれば、その百分の一のコストを負担する、つまり、ちょっと片附けるという手間をかけるだけで、行楽地は、きれいになる。

車の窓から、ジュースの空き缶を投げ捨てる、その心が公害の原点である。 自分の巣穴は大切にするが、巣の外は、恐ろしい外敵がいるところにすぎないと言うような動物的レベルである。 大衆には、収奪される者の心が残っていて、物価が高い、公害がひどいと、泣き声をあげる。そうすれば、お上が手加減して下さると。

もう、十二才ではない。一人前の大人であり、一家の主人である。 泣き叫ぶのをやめて、大切な国土、かけがえのない地球を、自らの意志と働きで、守ろうではないか。

溶剤税

ごきぶりに合成洗剤をかけると、ころりと死ぬ。だから合成洗剤は恐ろしいと言う。ところが実は、ごきぶりは、体を保護している油脂分が失われたために死んだのである。洗剤は油気を洗い流すためのものだから、これはあたり前のことであり、洗剤で手が荒れるのも同じである。

公害反対には、幼稚なものが多い。これでは、ほんとうに恐ろしいものは見過ごされるようになる。卵は、高血圧に悪いという説があった。卵には、コレステロールが多いから、血管にたまるという。ところが実は血管の老化は、栄養のアンバランスから起こるのであり、コレステロールは、老化して脆くなった血管を保護するために、体内で合成されているのかもしれない。

酸性食品が血液を酸性にするとか、塩分のとり過ぎが、高血圧の原因とか言うのも、同じたぐいの発想である。塩分を摂取した直後は、血圧が高くなるという物理的事実が、高血圧、塩分原因説の根拠だとしたら、全く短絡的な考え方である。そんなことは何の根拠にもならない。その説をたしかめるのには、生体実験が必要である。

塩分は好みにまかせるが、栄養のバランスは理想的に管理したグループと、塩分を控え目にし、他は好きに任せたグループを、比較すれば良い。たぶん前者の方が好成績を示すだろう。何故、このようなテストが行われないのか不思議である。大量の塩分を与えた動物実験など、何の意味もない。

現在の健康医学は、経済学と同じく、まだ中世の暗闇に包まれている。これに科学の光を当てることが必要である。フロンを使えば、紫外線がふえて皮膚ガンが殖えるというのは、風が吹けば桶屋が儲かるというようなものである。フラスコの中で、フロンがオゾンを分解するというデーターが、皮膚ガンにまで結びつくのは想像力の過剰である。

ついこの間までは、海や山には紫外線とオゾンが多いから、健康に良いとされていた。今では、オゾンは最悪の毒物である。そして、今でも、汚れた空気によって、紫外線がほぼ完全に遮断されている都会をはなれ、海辺のリゾート地に行って、わざわざ紫外線で肌を焼く人々は多い。

こんなことを書いたのは、フロンの規制を止めろ、と言うためではない。フロン以外のすべての溶剤も規制せよ、と言うためである。フラスコ内のテストがどうであろうと、自然界に大量に存在する物質以外の物質を大気中に放出することは、フロンと同様に危険なことである。

これは、気体だけでなく、固体でも液体でも同じである。水俣病の水銀のように、後追い規制では、だめである。自然界には存在しないか、叉は存在する物でも自然には、あり得ないような濃縮された状態で環境に排出することは危険であり、すべて規制しなければならない。

大気は一億×一億トン程であるから全世界の有機溶剤使用量を、年間一億トンと見積っても、大気中に放出されている溶剤の一年分は、大気の一億分の一に過ぎず、問題は小さいかもしれない。しかし、大宇宙から見ればケシ粒より小さい空間に閉じこめられている宇宙船地球号の乗組員として、常時吸ったり吐いたりしている空気中に、危険物を平気で放出する無神経さが問題なのである。

フロン騒ぎも、それに対する警鐘だとすれば、大いに意義がある。溶剤の排出濃度を規制するとか、放出量の総量規制とかは、無意味である。生産された溶剤は、生産された量だけ、結局は大気中に出て行くからである。大気中の特定の物質の濃度を測定しても無意味である。その物質は分解して、もっと危険な物質に変化しているかもしれない。

溶剤の規制は、溶剤に対する 課税で行うべきである。お金を取れば良いと言うものじゃない、と言うかも知れない。ところがお金を取れば良いのである。洗浄用溶剤を閉じこめて完全に回収するための設備投資が、経済的に引き合うように、溶剤の価格を高くする、或いは水性ペンキをコスト的に有利にし、その品質改良を促進し、溶剤を使うペンキからの代替えを進めるなどを通じて、溶剤への課税は、溶剤の生産量、即ち大気えの放出量を大幅に減少させる。

何でも禁止すれば良いというものじゃない。禁止による規制は大きなコストを伴う。ある物を禁止し、そのために開発された代替物も禁止することになれば莫大な浪費になる。環境問題は経済問題であるから、コストと効果の対比が重要である。

溶剤税は、はじめは、大きなコスト増になるかもしれない。しかし、しだいに、回収技術や水で代用する技術が進歩し、まもなく、課税前よりも、かえってコストダウンができる可能性が大きい。溶剤税は、従量税とし、税率は、ガソリン税より低くする。ガソリン税より高ければ、ガソリンが溶剤として使われる。

ガソリン税は、もっと高くするべきである。大衆車の三倍もガソリンを食う、狭い日本では虚栄以外の意味がない高級車が増えているし、道路関係の受益者負担の外に、環境悪化の原因者負担分もあるからである。ガソリン税、軽油税の増税によって、電気自動車等の発達を援護することが出来る。その他、硫黄、窒素の酸化物等、多くの公害物質の環境への排出に対して、排出量に比例して課税する事によって、効率よく公害を防止することができる。

木材税

森林の保護は環境保全のために極めて重要であり、国内だけでなく、他国の森林も、出来るだけ大切にしたい。

ところが、大量の木材が輸入されている一方では、まだ使える木材が廃材として、焼却されているし、紙の再生利用もまだ充分とはいえない。

廃材及び故紙の再生利用を、促進するために木材課税が必要である。パルプは木材段階で課税されるが、輸入パルプには、木材課税分の関税を上乗せする。

木材の輸入関税は、軽減することを求められても、国内産木材との競争条件に影響がない木材課税に対して、他国から非難される謂れはない。炭酸ガスの排出量低減という名分もある。またゴミの過半は紙であるから、紙の価格上昇によって紙の消費量が減れば、ゴミも減ることになる。

紙の消費量は、文明のバロメーターといわれる。紙の消費量が、現在の百分の一程度の時代には、それは真理と言えるが、今では、あまりに紙が浪費されている。毎朝配達される新聞とダイレクトメール、その中に書かれている文字の百分の一でも読む人が、何人居るだろうか。紙の消費量が十分の一に減ったとて、日本文化の水準は少しも低下することはない。むしろ、貴重な紙に書かれた貴重な文字をもっと大切に読むようになるかもしれない。

国内の森林には、環境保全よりも、木材生産を目的として植林されたものが多く、杉の花粉ように、むしろ環境に有害な場合がある。これらは、木材税を免除して伐採を促し、かわりに、環境を重視した、豊富な樹種の植林を義務ずける。

プラスチック税

ゴミ処理コストは、本来、消費税の中に含まれているから、政府が負担するべきであるが、価格が低くて、消費税負担が少なく、その割に処理コストが高いものについては、原因者負担課税が必要である。
ガラス瓶など、循環使用が可能な容器については、その回収コストに補助金を付与し、回収率を向上させる。これによって使い捨て容器の使用を減らす効果がある。アルミ缶など、回収すれば、価格が高く資源の再利用が可能なものについても、回収を補助する。プラスチックの容器については、清掃費や焼却費に見合うようにその容積、叉は面積に比例して課税する。

最近、プラスチックの、鯨、イルカ等の海洋生物に及ぼす害悪が問題になっている。しかしながら、腐蝕性プラスチックで代替えするのは考え物である。腐蝕性プラスチックと言っても、天然物のように、腐蝕後、或いは腐蝕進行中のものが無害であるとは限らず、単に、原形を失うだけの腐蝕では、かえって始末が悪い。プラスチックは、海水より軽く、海面に浮かぶものが多い。清掃費さえ充分にかければ、水際で除去することは可能である。原形を保っているだけ、始末がしやすい。塩化ビニール等は海水より重いため、沈むから、もっと厄介ではあるが、それでも底引き網で清掃すれば良い。

せっかく魚網にかかったプラスチックを、再び海に捨てるなど論外である。ゴミを海や河に捨てる者は、軽犯罪法で取締り、高額の罰金を課す。網にかかったプラスチックを持ち帰った漁船には、報償金を出す。インチキをして、陸のゴミで報償金を得ようとした者は、ゴミを海に捨てたと見なして、厳しく処罰する。

公害は経済問題である。清掃費など公害防止に充分なコストをかけても、なおかつ、腐蝕性プラスチックや、天然物を使うよりも、トータルのコストが低ければ、プラスチックの使用は許されるべきである。釣糸は例外である。量的には少ないから、高価な天然繊維や、腐蝕性プラスチックの使用を強制しても、それ程、国民の負担にならない。そして、質量が小さい割に、海底を汚す害が大きく、又、除去するのが厄介である。非腐蝕性の釣り糸に対しては高額の課税をするべきである。

産業廃棄物

企業の出す廃棄物は、企業が始末することが原則となっている。それで良いのだろうか。ある工場では、酸性の廃液を、アルカリで中和して流し、他の工場では、アルカリ性の廃液を、酸で中和して流す。これは資源の浪費である。塩酸と苛性ソーダーは、食塩の電気分解によって等量づつ生成したものである。廃水は、ひと纏めにして処理すれば、中和コストがかからない。

すべてのゴミや廃棄物は、まとめて処理する方が効率がよい。適当な分担金を課し、まとめて処理すれば、企業にとっても地方自治体にとっても利益になる場合は、産業廃棄物といえども、そうするべきである。それをしないのは行政の怠慢である。(ある自治体の長が、他県のゴミの持ち込みに反対して、自分のところのゴミは自分のところで始末しろ、と言ったことがある。とんでもない考え違いである。

それでは、町内のゴミは町内で、更には、家庭のゴミは各家庭で、ということになりかねない。自治体間でよく話し合い、適当な迷惑料さえ払えば、双方の利益になる場合は、他県のゴミでも引き受けるべきである。企業のゴミは企業で、というのもこれに近い)

ゴミ処理の合理化

ゴミも資源である。ゴミ処理を効率化し、ゴミを資源化するには、競争原理の導入が必要である。

ゴミ処理は、入札制などによって、民間企業に委託する。委託された企業は料金を受け取る代わりに、ゴミ処理によって発生する公害に応じて課税を受ける。例えば、埋め立てるときは、焼却するよりも税を高くする。(焼却するときの排出物に対しては別に課税する)再生利用するときは、無税とし、補助金をつける。

このようにすれば、ゴミは、エネルギー源として活用され、叉は建材などに再生され、肥料にもなる。しだいに処理技術が進み、効率化されてくると、入札金額がマイナスになる、即ち、ゴミがプラスの価値を持つようになる可能性さえある。

農薬、化学肥料税

農薬や化学肥料は、必要最小限度の量を使うとき、非常に有効で害も少ない。現状は、これらの価格が安すぎるために過剰に使用される結果、不必要な公害を発生させている。(住宅密集地に隣接する農地に、ヘリコプターから農薬を散布するなど、言語道断である。ところが、不思議に、問題にされない。あれほど公害に大騒ぎするオバタリアンも、黙っている。兎小屋に住む庶民にとっては、大金持ちである近郊農家は、昔のお殿様よりも、おそれ多い存在なのだろうか。)

農薬と化学肥料には、高率の課税をするべきである。その税収の一部を農家に還元することを約束すれば、何とか、説得できるだろう。販売量が急減するメーカーにも、補償を行う。河や湖沼の汚れには、合成洗剤等がスケープゴートにされているが、主犯は生活排水である。高いBODもさることながら、たとえBODがゼロになるまで浄化されて放流されても、燐などの肥料成分は、BODと無関係に排水中に含まれている。

化学肥料がない時代には、町家のし尿は、農家の野菜と交換される、価値あるものであった。今では、農家も水洗トイレになっている。莫大な肥料成分が水に流されている。これでは日本の河川や湖沼は、たまったものではない。こうして湖などに流れこむ肥料成分の量は、洗剤からの量よりも少ないだろうか。

国土を美しく保つためには、下水道の完備がまず必要である。汚水は出来るだけまとめて完全処理し、分離した固形分は肥料とする。上澄液も、肥料成分を含むから、海流が流れているところまで運んでから投棄する。肥料成分は、もともと海から来たものであり、低濃度に拡散すれば、害はない。むしろプランクトンの養分となり、水産資源の増加につながる。内陸部では、上澄み液を海まで運ぶのはコストがかかるから、液肥として使えるように工夫したい。

たとえば、高肥料で成長が速い植物性プランクトンを、バイオ技術で作り出す。これは、ポンプで吸い上げ、濾過、遠心分離による、脱水、乾燥が容易な、大きさ、形を持っていて、効率よく収穫できる。又、ビタミン、ミネラルを多く含み、穀物飼料を補完する生鮮飼料となる。広大な池を、このバイオ工場とし、下水処理場からの液肥を導入して活用する。

農村地帯でも、生活廃水は流さない。補助金を出して、完全に腐熟するまで、ためておくことができる大きな貯槽をつくる。そして、沈澱物も、上澄み液も、肥料として利用する。プラスチック系のゴミを、高温、高圧で押し固めて、成形したものは低価格で、コンクリートよりも軽く、腐食しない。

欠点は、美麗でないこと、あまり強くないこと、光に弱いことであるが、たとえば、U字溝としては、充分に使える。又、これは、ホットメルトガンで、容易に接合することができる。(ポリエチレンを含む、融点八十度ぐらいの接着剤を、加熱溶融させて打ち出す。これで、ポリエチレンを多く含む成形物は、接着できる)このように工夫してコストダウンをはかり、競争原理を取り入れて、効率良くやっても、下水道の完備には、莫大な投資が必要である。しかしながら、十年間に百兆円かけても、やる価値があると思う。

化学肥料に課税し、高価なものとすることは、堆肥などの有機肥料だけでなく、ゴミ処理及び下水処理からの肥料の価値を高め、生活排出物関係のコストを低下させるのである。余った化学肥料は輸出補助金をつけて、低開発国に、低価格で輸出すれば、焼畑農業に歯止めをかけ、世界の森林保護に貢献できるかもしれない。

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