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第六章 所得税

事業所得は、法人、個人の別なく基本税率を三十パーセントとする。 但し、間接費を控除しない代わりに、税率二十パーセントとする簡易方式を選択できる。給与所得は、税率十パーセントとする。利子配当等、すべての不労所得は所得と見なさず課税しない。

不労所得

不労所得は資産所得だけである。 他の、一般に不労所得と言われている所得は、後述するように所得とは見ない。 不労所得は、本来、あってはならないものであり、実際、実質金利がゼロであれば、すべての資産所得はゼロである。

不正所得

暴力団にも課税せよ、という論があった。お笑い草である。これは、泥棒から税金を取れというようなもので、まず泥棒を捕まえる方が先決だろう。

しかし、一理はある。不正所得の証拠は掴めないが、所得があったのは確かな場合、とり合えず課税だけは仕様というわけである。

不正所得は不労所得ではない。 泥棒も、それなりに苦労しているからである。

寄生所得

物やサービスを生産するのに貢献することなく大きな所得を得ている連中を、寄生虫と呼ぶことにする。 高級官吏、大企業の役員クラス、及びその古手の天下り族などの中に肥え太った寄生虫が多いが、小さな寄生虫はどこにでもいる。

寄生所得も不正所得の一種であり不労所得ではない。つまらないことも、必死で頭につめこむことを強いられる試験に通り、世のため人のためになることをしたいなどという甘い幻想を捨てて、ひたすら点数稼ぎに精を出した永年の辛抱の報酬なのである。

所得税は経済競争ゲームの強者に課すハンディであるが、彼らは、むしろ弱者である。決して能力がない訳ではなく、フェアにゲームに参加する意志がないだけではあるが、ゲームの強者ではないから所得税にはなじまない。

競争原理という虫下しを社会のすみずみまで行き渡らせて、出来るだけ駆除するのが先決である。労働所得と、寄生所得を区別することは、不可能に近いから、一応課税することになるが、これは税金ではなく罰金と考えれば良い。

ギャンブル所得

サイコロの目を争うような単純なゲームでは、勝負は全く運による。この勝者に所得税を課すのは酷である。この場合は勝者は強者ではないからである。

勝ったとき所得税を課し、負けたとき返さないのは、ゲームを禁止するのに等しい。だからギャンブル所得は、所得と見なすべきではない。

高利廻りの債権、株等からの所得は、金利の外に危険負担の保険料分を含む。保険料分は、実はギャンブル所得であるから、所得とは言えないし、実質金利はゼロだから、所得は合計ゼロである。

投機は、罪悪視されることが多いが、実は円滑な経済運営に、無くてはならないものである。投機は、先見性を争う高度な知的ゲームである。だから、強者が存在するが、勝負は、運、不運でも大きく左右されるから、長い目で見ないと、ハンディを課すことはできない。ギャンブル所得に課税する結果になるからである。

株の売却益に対して、キャピタルゲインと称して原則課税することになったが、おかしな話である。不当に高い手数料、取引税の下では、株の短期売買は、ゼロサムゲームどころか、かなりのマイナスサムゲームである。売却益は、資産所得ではなく大部分がギャンブル所得である。売却益課税には、損した人の方が多いのにもかかわらず、大儲けした人に対する貧乏人のやっかみに乗って、取れるものは取ろうとする収奪の習性が、見え見えである。

長期保有による値上がり益に対しては、売買とは無関係に、別に課税方法を考えるべきであって、売却益課税は、流通阻害のマイナス以外に、何の意味もないものである。 本当の金持ちは、三十年間も、売買せず、無償増資等を含めると何百倍にも値上がりした株を、今でも、じっと抱えて、笑いをかみ殺している。

この利益も、本質は資産所得ではなく、先見性という知的労働の所産である。この莫大な利得を表に出さず、官民一体となった所得隠しの隠れ蓑として、売却益課税は利用されている。 その三十年前の株を売るときは、短期売買と同じく、簡易課税によって売却金額(ほぼ売却益に近い)の一パーセントの税金で済むのである。

しかしながら、この抜け道をふさげば、どうなるか?その流通阻害によるマイナスは耐えられない大きさである。土地の譲渡益課税も全く同様である。これらのギャンブル所得的性格の所得は、所得とは見なさず、長い目で見た課税、即ち後述する財産税によって、低税率ではあっても長年かけてじっくりと徴収するのが良い。

贈与された所得

親戚の子供にお年玉をやる。うちの子供は、向こうから貰う。これに課税すべきだろうか。金額が小さいから問題にならないが、大金持ちなら、一億円を、やりとりするかもしれない。自由とは、他人に迷惑をかけない限り、好きにする自由である。これに課税するのは、貧乏人のやっかみに、収奪をむねとする税務当局が乗ったのである。

贈与税は、実は相続税逃れを封じる為のものであろう。しかし、相続税も同じことである。親が子に財産をやるのに、他人には何のかかわりもない。財産の処分権は、財産の私有権と同じ性質のもので、子でなくても、誰にやろうと自由である。ゼロサムゲームとしてのギャンブル所得と同じく、特定のグループ内でのやり取りは、トータルでは所得がないから、所得とは見ないのが自然である。

相続税のために、金持ちは、二十一世紀には死ぬ自由さえ奪われるかもしれない。植物人間、冷凍保存等が流行するだろう。形だけでも生きていれば、相続税は払わずに済む。今でも、大きな資産は、法人所有の形で、所有権者はうやむやにされている。法人は死なないからである。財産の再分配は、財産税で行うべきものであり、相続税、贈与税は二十世紀の遺物である。

投資所得

資産所得はゼロであるべきことは前述したが、その意味は、能力と努力、危険負担なしに、単に資産を所有することから得られる所得は、あってはならないということである。例えば土地からの資産所得をゼロにするということは、賃貸料からの収入を、保有税で相殺することである。

これに対して、土地を使って、借地料を上廻る最大の収益を上げることは、土地を最大限に活用することであって、望ましいことである。資本主義の経済競争は、資本を最大限に活用し、最大の収益を上げる競争である。自分の資産で事業をやるのは勿論、借金で事業をやってもいいし、借金で他人の事業に投資してもいい。資本と能力、努力、危険負担を組み合わせて、単なる資産所得以上の収益をあげることによって得た所得を、投資所得と呼ぶことにする。

広義に解釈すると、すべての所得は、投資所得であると言える。給与所得は、自分の頭とからだが資本であると考えればよい。投資は必ず、ギャンブル性を持っている。例えば、就職さえ一種の「かけ」である。悪くすると、能力と努力に見合う給与が得られないからである。そもそも、人生そのものが冒険である。生きて活動すれば必ず危険を伴う。危険をおそれて何もしなければ、死んだも同然である。

放課後の小学校はガラガラで子供は一人も残っていないと聞く。校庭で子供が怪我をすると厄介なことになるので、早く帰すわけである。これではせっかくの広場が活用されない。

過保護ママは、人生が冒険であることを知らない。 ヒステリックな食品公害騒ぎ。 例えば、石油蛋白は、人類の将来に対する貢献(たとえば、大隕石の落下による地球的な天候不順が起こったとき石油蛋白は救世主になる)を思えば、極めて僅かな危険なら、危険を冒してテストする価値は充分にある。これに反対して潰してしまったのは、誰かの陰謀さえ疑われる。

動物が生きるということは、冒すべき危険と、冒してはいけない危険を見分けて活動することなのである。余談はさておき、ここで再び強調したいことは、所得は、長い目で見ないと、実力による所得と、まぐれ当たりの所得と見分けがつかないことである。大きな所得があり、高額の所得税を払った次の年に破産するかもしれない。資産は所得の累積であり、所得よりも、はるかに安定性が高い。故に所得の再分配には、財産税を重視しなければならない。

所得の把握

所得は、収入から必要経費即ち収入を得るために行った支出を引いたものである。収入は本人には、わかるが、税務当局が捕捉することは、容易ではない。特に収入源が分散しているときには難しい。

正確に掴むためには、大きなコストがかかるだけでなく、人間性無視のプライバシー侵害、例えば、探偵まがいの調査、拷問のような尋問、などが必要になる。必要経費に至っては絶望的で、本人にさえよくわからない。

通勤費、背広、靴、部下の冠婚葬祭に出す金等と言い出すと、結局、働く為には生活しなければならないから、生活費そのものが必要経費であるということになる。その上、自分自身の償却費はどうなる、自分を再生産するには子供を生み、育て、大学を卒業させねばならないから、そのコストは当然必要経費である。

不正確な収入から、もっと不正確な必要経費を引いたものが所得であるから、所得の正確な把握は不可能である。常識の範囲で、どんぶり勘定でやる外はない。

累進税

所得の把握は、どんぶり勘定であるから、高税率はかけられない。そして、線引きが多い累進制は、現実的でない。高率の累進税制は、節税しようとする動機を非常に大きくし、しかも節税は容易である。抜け道がいくらでもある。

実際、実効税率の最高は四十パーセントで、これは、税率六十パーセントの所得層に相当し、税率八十パーセントの所得層の実効税率は、三十パーセントと試算されている。これは、高税率層ほど節税の動機が大きく、また、大きな節税コストをかけても引き合うからである。そもそも、税率八十パーセントは、ほとんど共産主義であり、経済競争のゲームが成立しない。これは戦後の苦難時代の遺物であるが、取れるところからは、取れるだけ取るという、収奪思想の現れでもある。

今の税制で正直にやっていれば、貧乏人は、永久に貧乏人で、どんなに努力しても、稼いでも、金持ちには、なれない。貧乏人は、金持ちが、より金持ちになるのは気にしないが、貧乏人が金持ちになるのは許せない。これは置き去りにされまいとする動物的本能かもしれない。貧乏人の、互いに足を引っ張る悲しい習性を、税務当局は利用しているわけである。

子供を大学にやっている工場長は、くたびれた大衆車で出勤し、農家の子弟が多い、新入社の工員は、ピカピカの高級車を工場に乗りつけている。若い連中は、工場長が高い税金を払っていても俺達には関係ないと思うかもしれない。ところが、なかなかそうではない。

会社は工場長に妥当な月給を払わない。高い累進税のため、月給を高くするのは効率が悪いからである、代わりに社宅、社用ゴルフ等で報いようとする。部長の月給は工場長より高くできない。工場長、部長、課長、と押せ押せで結局、サラリーマンの月給は低く押さえられている。所得税の少ない、若い主任も実は累進税の被害者なのである。この気ちがいじみた、累進税制は、すぐに廃止すべきである。

所得税、消費税、財産税のバランス

所得の再分配は、所得税で行うのが当然である、というのは、幼稚な考えである。その幼稚さは、太らないために、コーヒーに砂糖を入れないのと似ている。血糖値が下がると食欲が出るから逆効果かもしれない。いや、糖分をとり過ぎると身体が蛋白質を要求するから、腹が減る、だからやっぱり太ると言う考えもあるだろう。大切なのは栄養のバランスである。

所得は、把握が難しいから、他の方法はないか。所得は消費と資産増加の和だから、消費税と資産税で所得税を代替えできるはずである。所得は、消費されない限り、所得と見なさなくても良い。例えば、一万円の所得があっても、永久に使わなければ、それは政府の所得となる。政府は、物価と金利のバランスをはかって、通貨供給量を調整するから、使われないお金の分は、通貨発行額の増加となるからである。(政府は印刷代を除く一万円を儲ける)

故に課税すべき所得とは、即ち、消費である。また消費税は、大量生産、大量消費による資源の浪費と公害を抑制する。所得の再分配は消費税で行うべきである。これには反論もある。貧乏人程消費性向が大きい。また、消費は生活のためであり、所得のための必要経費である。真の所得とは、資産の増加額にほかならない。そもそも、金持ちとは、資産家のことではないか。所得の再分配は、財産税で行うべきである。

いずれの論も、一理がある。しかし、それでも所得税が必要なのは、リアルタイムの所得再分配ができるからである。消費税は消費しなければ課税できないし、財産税は低率で長年かけて徴収する。百年後に分配しても間に合わない。どんぶり勘定が可能な程度の低税率なら、所得税も悪くはない。要はバランスの問題である。所得税、消費税、財産税をバランスよく組み合わせることによって、最も効率的で公平に近い所得の再分配を行うことができる。

給与所得税

給与所得税の税率は、二十パーセントとする。但し、所得の二分の一を必要経費と認める。これは、税率十パーセントと同じである。そうしないのは、領収証集めの好きな連中が、必要経費を認めろと言うのを防ぐためである。GNPを四百兆円とし、現金分配率を五パーセントと仮定すると、五人家族の分配金は、年額百万円となる。これを、相殺すれば、年収一千万円の給与所得は無税となる。

年収五百万円の人は、差引五十万円の戻し税を受け取ることになる。これでは話がうますぎる?そんなことはない。その代わり、消費税、財産税、等は、我慢してほしい。その他、強制加入の保険、年金、地方税も廃止する、又、すべての控除も廃止するから、給与明細書はすっきりする。

事業所得税

事業所得税は、法人、個人を区別せず、税率三十パーセントとする。税額の算定法は、ほぼ現行通りである。売上高が、一定限度内のとき、原料費、労務費等の直接コストは、売上から控除するが、研究開発費、交際費、広告費、出張費等の間接費は控除しない代わりに、税率を二十パーセントとする簡易課税を選択することができる。

個人営業でも、自分自身に給与を支払った形にする、即ち、事業所得の一部叉は全部を給与所得と見なすことができる。また、給与所得であっても、一定額以上は事業所得とする。この方式は、所得税の税率を十パーセントと二十パーセントの二段階にするのと同じようであるが、次の点が異なる。

まず、線引きが曖昧で、常識の範囲なら自主的判断にまかせる。例えば、店を手伝っている高校生の息子に、年俸五百万は常識に反するし、四十才の腕利きの番頭さんには一千万でも良い。また、税率二十パーセントの事業所得には、直接コストの控除を認めている。たとえば、プロ野球の三冠王の年俸が二億円とすると、給与所得分は、二千万とし、一億八千万は事業所得とする。その代わり、バット代等は控除する。線引きで紛争が起こったときは、裁判で、陪審員が常識的判断を下すだろう。

利子配当課税

株から資産所得が得られるとしたら、預金者は預金をおろして株を買うだろう。実質金利がゼロであるかぎり、預金からは、所得が得られないからである。こうして、株価は株式からの所得がゼロになるまで上昇する。リスクが配当に見合う株価になるまで。いわゆる高所恐怖が唯一の歯止めである。配当はリスクに対する保険料である。保険料を所得と見ることは出来ない。

配当課税は金持ちからも、税金をとっていますというゼスチャーにすぎない。こんなものは、止めた方がすっきりする。利子に対する課税も同様である。そもそも、資産所得を課税しただけで、免罪にする考え方が間違っている。資産所得は、あってはならないものだからである。

企業の価格、例えば企業を競売にかけたときの落札価格の推定値を株数で割ったものを、その株の実力価格と呼ぶことにする。現在の株価は非常に高いといわれるが、それは、配当との比較の話であって、実力価格より、はるかに低い。それは、買い占めが起こると、株価が暴騰することから証明される。

このことは、株式会社の所有者は、株主ではないことを示している。そのため、株価は実力価格とは無関係に、配当とリスクによって決まるのである。実勢株価は実力株価よりはるかに低いから、リスクが極めて小さくなるため、配当に比較して株価が高くなるのである。

株式会社の所有者が、株主ではないのは、企業間の株の持ち合いによる。このからくりは、複雑巧妙で、本当の所有者は、忍者のように雲隠れしている。それが誰かは、とうてい、我々にはわからないし、勿論、税務署にもわからない。このことは、後に述べる財産税に重要な関係がある。

独占税

独占があるとき、税率三十パーセントの事業所得税だけでは、強者に課すハンディとしては充分ではない。トップ企業は、販売力、技術力がすぐれているからトップ企業になったのであるが、生産、販売量で二位以下を大きく引きはなした状態になったとき、規模のメリット(大量にまとめて製造するほどコストは低くなる)をも亨受するようになる。このため、独占は、ますます進行し、競争を維持できない。

独占税は、シェア(市場占有率)が三十パーセント以上の企業に対しその占有率に応じて、割り増しされた税率の所得税を課すものである。カルテルは、単一企業と見なす。独占税は、正当な商行為に対する課税であるから、申告制でゆるやかに査定して良いが、ヤミカルテルや名目的企業分割などの目に余る節税行為に対しては、きびしい更正決定を行う。

将来の独占利益を手に入れる目的で、下位企業を廃業に、追い込むために、不当な低価格で販売することをダンピングという。不当な低価格とは、利益が最大になる価格よりも明らかに低い価格を言う。(高価格では販売量が減り、低価格では販売量がふえるから利益が最大になる価格が存在する)トップ企業のシェアは、六十パーセントのとき利益が最大となると考えられる。

シェアが低いときは、価格を多少下げても、それ以上に販売量の増加による利益が期待されるが、シェアが、例えば九十パーセントであるとき、価格を下げてもシェアの増加は、わずかだから、価格を下げることは、そのまま利益の減少になるからである利益の最大を求めることは正当な商行為であるが、六十パーセント以上のシェアを持っていることは、経済原則にしたがった価格決定をせず、下位企業を苦しめるためのダンピングを行っていることを示唆している。

他に競合商品があるときは、例えば、シェア九十パーセントが利益最大になることもあるから、確かではないが、公正取引委員会は、過大なシェアを持つ企業を、きびしく監視しなければならない。ヤミカルテルによる協調値上げはもちろん不正行為である。これらの不正行為はあってはならないものだから課税の対象にはならない。

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